平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

人生の様々な側面を表示します メール keitaisan@icloud.com 

②真剣にマイク街宣

何回目になるだろうか? あまり覚えてない。多分、10回? 20回? いや20回ってことはないだろう。でも思い出せない。何しろ、健忘症もサカンな年頃だからして・・・ ま、どうでもいい。

 

ただし、マイク街宣の機会を頂けたのは誠にありがたかった。自分でどのように具体的に有声によって発信すればよいかの機会が得られなかった。それが得られたというのは望外の幸福、もう、水を得た魚、真理を得た哲学者、王道を得た覚者の如き意識を得た。自己満足に過ぎないが、幸福の一端は得た。

 

そんな下らないことはともかく、何しろ、マイク街宣は0.1秒で反応が分かる。

 

私のマイク街宣、99%の無知に対して、1%の覚知を働くという離れ業。当然、絶無とも知れる賛同不可を思いしらさるる。今の世に、コロナ禍は詐欺、ワクチン接種は猛毒配布、マスク装着は害以外の何物でもない、などとほざく人種は異常者との扱いが至当となる、いやはや。

 

そのイヤハヤを何十回も、いや10回くらいか、繰り返した結果、理解したことがある。どれほどに無知が深かろうと、こちらが真髄すり減らしてダミ声を上げ、泣かんばかりに子供たちの悲劇を訴えると、響く人の顔が見える、ということだ。

 

子供たちの命を救いたい、その一念でマイク街宣で訴える。その気持ちはウソもハッタリも無い。とにかく子供たちを助けたい、その一念しかない。今日もその一念で訴えた。大きな声で、子供たちの命を救いたい、ワクチンを打たないでくれ、年寄りが自分の命が助かりたいがために、子供たちにワクチンを打てなんて言うか? そんなひどいことはないだろう、私もやらない、やめてくれ、助けてくれ、子供たちを守ることは、命を守り、未来を守ること・・・みたいな

 

言ってて、哀しくなる。こんな当たり前のことがなんで分からない? 分からないことが分からない。何故なんだろう? 自分たちの命が助かるために、5才の子供にも新型コロナウィルスワクチン打ってほしい、そうすれば、全体の免疫あがって、年よりの自分たちの命が助かる、だから5才の子どもにもワクチン打ってほしい・・・そんなジジィがババァがいるのか?

 

ジジィババァとは言わなかったが、そんな年よりがいるのか! ということは言わせてもらった。本当に、自分の命を守るために、子供たちにも新型コロナウィルスワクチンを打てと言えるのか? と。ハッキリ言おう、いる訳がない。そんなことを言うのはジジィババァのモグリでしかない。小さな子供たちを自分の命をかけてでも守るのがジジィババァ。自分だって命をかけて子供たちを守りたい。当たり前だ。

 

そんな当たり前のことを、人生の隅々まで知り尽くしたジジィババァが分からない訳がない。子供たちの命を助けたくない、そんなジジィババァなど見たことがない。あたり前に、子供たちの全面に立って、子供たちの命を守る。それは信頼できる。

 

だから、今の、新型コロナウィルスワクチン接種の風評は理解できない。おそらく、バカな鐚銭収集家の現政府が無い知恵で絞り出した悪智恵だろう。本当のジジィババァはそんな愚か者ではない。必死こいて、命をかけて、何が何でも、自分を殺してでも、子供たちを守るのがジジィババァ・・・・・ 当たり前だが歴史の通底だ。

 

私は貫くつもりだ。当たり前だ。子供を守らなくて何のジジィ? 何のババァ? 存在価値それしかないじゃないか? 心配しなくていい。過去世をきれいにすればそれで大丈夫。ただ、人を殺しまくったり、人にイジワルばかりしたり、人を貶めることばかりしてたり、そういう過去世のペッコペコばかり頑張ったりする人は、ひょっとしたら救われないかもしれない。保証はないけど。

 

死ぬことは、そんなに大したことではない。いずれ転生する。その意識を持てない人はつらいかもしれないが、自分は幸い、転生は当たり前、過去世を良くしたいというのも当たり前、良くしたいというより、良い感じにした方が楽しいっていうのが当たり前、という感覚が魅力的なだけ。ハッキリ言って楽しいから。なぜ、その楽しさが分からないのだろう。分からない人は本当に不幸だと思う。

 

不幸と幸福の境目は、微妙に難しい。自分でもまだ分からない。でも、ひょっとしたら、楽しいと楽しくないの分かれ目なのかもしれないとは感じる。そんな単純なことではない、と否定したい向きは分かる。でもそう思いたい。

 

手塚治虫って、そのギリギリを追い求めてしまった人なのかな。最近そう思う。関係ないかもしれないけど・・・・・