平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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フェイク

今の社会、あまりにもフェイクが多い。急増している印象を受ける。アメリカを筆頭に、ありとあらゆるフェイクがばらまかれている。クライシスアクターは常識、デジタル画像、動画も溢れている。フェイクニュースもまた常識。これは日本でも同じ。今のメディアが出しているのは殆どフェイク。また、記事の優先順位も出鱈目。追求すべきを無視し、派手目の記事を繰り出し、さらに延々と続けることで出すべき記事を出さない。リサーチもしない。

 

人間の質全体も劣化してきているように思える。ネットは便利なものだが、安直に過ぎる面もあり、じっくり考える人というのが少なくなってきたようにも感じる。かくいう私もネットをよく利用するが、最近は少し減らし、本を読む方を優先することになりつつある。ネットにも書籍にも、フェイクがあるが、書籍の場合、フェイクはあからさまにされやすい。ばれやすい。ネットでのフェイクは総じて見抜くのが難しい。CGやデマ情報を集中的に作り出せば、だませる確率が増える。

 

新型コロナウィルス騒動は完全なフェイクだが、メディアやネットが総動員で捏造し続けた結果、殆どの人が詐欺に騙されることとなった。あまりに大がかりなフェイクなので、書籍が対抗できない。それに、最近は本を読む人が激減している。安直なテレビ情報に頼るようになっている。テレビの害はすさまじい。テレビを捨てられない人ばかりなので、支配側にとっては大変有利だろう。

 

私もテレビを捨ててから、随分本を読むことになった。本はそれほど嫌いではなく、そこそこ読んでいたが、やっぱりテレビがあるときは、テレビを観る時間も取られた。どうしても観なくていいものも観たりする。テレビが無ければ、自然に本を読む時間も増える。本を読めば考える時間も増える。テレビを観て情報を取っているつもりの人は、フェイクで騙されていることに気づきにくい。思考操作をする者にとっては、絶好の洗脳マシンとなっている。

 

テレビを捨てるように多くの人に言っても、もう手遅れのように思える。誰も捨てない。思い出すことがある。40年ほど前、バックパック旅行で出会ったフィンランド人が、テレビはとても良くない、捨てるべきだという話をしてくれた。その話を聞いたとき、へぇそうなのか、というくらいの印象で、結局日本に帰ってきてからも捨てることにはならなかった。このフィンランド人はその頃からテレビの危険性について知っていたわけだ。思い出して見ると、すごい先見の明のある人だったのだなと理解できる。

 

人間ってどんなことに関しても、よくよく考え、使うか使わないか、近づけるか遠ざけるか、本当にじっくりと考えるということが必要なのだとつくづく思う。言葉に出すときも、言葉を書くときも、本当に慎重に、しっかり考えた上で表現するようにしないといけない。まだそのわきまえがしっかり出来ているとは自分では感じられない。もっと考えながら生きていかないといけないな。