平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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③私には私の生き方がある

私には私の生き方がある。それはおそらく自分というものを知るところから始まるのでしょう。吉田拓郎の「今日までそして明日から」という歌の歌詞一部。

 

この歌詞が好きで、よく思い出す。自分にとって、自分自身の生き方というものがあるはずだ、と考えている私にはピッタリの歌詞。確か、学生の頃、フォークソングにはまり、ヘタクソな歌を歌っていた。その中でもお気に入りの歌だったと記憶している。少しキーが私には高いのでけっこう歌いづらかったが、歌詞が気に入っていたので無理して歌ったものだ。ヘタクソだけど。

 

私には私の生き方がある。強烈な自己主張だ。私の場合、別に私は私だ、文句あるか? と言うほどの偉そうな感覚は無いが、人の言うことを全く聞かないという意味では結構徹底しているように自分でも思っている。世間が言う、友人が言う、自治体が言う、国が言う、新聞が言う、テレビが言う、世相のモロモロの同調圧力がかかる、などなど、全く何の遠慮もせずに、自分自身の納得が無かった場合に、全部切って捨てる。切って捨てるなんて勇ましい事じゃ無いな、ゴメンやっしゃー、ワシ全然それ違うと思ってんねん、せやから言ってることきかれへんからね、ワシにはワシのイキカタがありまんねん、といった具合だろうか。

 

分かり易い事例はマスクを着けるということだ。今の日本社会で、もう誰も外せないレベルでマスクを口元にぶら下げるというのが行き渡ってる。未だに日本政府はスッキリしない対応。マスク装着を緩和するとかいやだめだとか、また緩和するとか、そのための条件はこうだ、とかああでもないこうでもないを続けている。緊急事態条項に関心を向けられないがための作戦でもあるだろう。コロナやウクライナについて、彼らはどうでもいい。元々アメリカの管理体制に置かれている。ウクライナと同じ。憲法の上に日米合同委員会があり、国ですらない。日米合同委員会は日本政府の官僚と在日米軍トップとが月に2回協議し、米軍の意思がすべて通る。例えばこの記事に詳細が書かれている。コレ。

http://kokuminrengo.net/2017/03/08/%E8%AC%8E%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%8A%9B%E6%A7%8B%E9%80%A0%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E3%80%8C%E6%97%A5%E7%B1%B3%E5%90%88%E5%90%8C%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E3%80%8D/

 

本当はネット記事ではなく、書籍で持っている方がいい。私がこの関連で読んだのは、

 

矢部宏治著 「日本はなぜ、基地と原発を止められないのか」

 

ネット記事はすぐに消えたり、消されたりすることがあるけど、本はいったん買えば無くさない限りいつでも読むことができる。ネットは不確実情報だけど本は確実情報としていつでも手に取ることができる。優位性は上だ。

 

日米合同委員会のことだけではなく、広範囲に亘って日本の立ち位置というのがよく分かる。日本は国ですら無い、と言わざるを得ないほどの状況が分かる。テレビも新聞も、それから日本政府も絶対に言わない。

 

いや、話がずれてきた。こういうのを書き出すとすぐにずれるんだな。何の話をしていたかな? あ、そうだ。

 

私には私の生き方がある、吉田拓郎の歌から始まった話だった。

 

この感覚のおかげで、私はずいぶん得をしたと思う。最大公約数にぶら下がるという習慣を持たず、たとえいっとき損をしても、自分の考えを優先する、自分の決定を優先する、という生き方をした。そのおかげで、自分にウソをつくという決定を殆どしないで済んだ。「殆どしない」と書いたのは、その時していた仕事で、どうしてもそれをしないと仕事ができない、ということがあった場合に仕方無く従ったという意味だ。マスクにしても、マスクを着けないと仕事ができない、させないという現場で仕事をしてると、マスクを外した時点でやがてお払い箱になる。これがこの2年、徹底されていた。

 

ただ、今では完全にマスクを着けないことに決めたので、あっさり仕事から干されている。カネよりも自分の考え、そして体の健康を優先した訳だ。とても賢明な選択だったと思っている。

 

ただ誰に対してもお奨めすることはできない。なぜなら仕事を捨てるとたちまち干上がる、家族も持たない、生活が破綻する、という人には無理がある。当然、そういう方々は、その選択をせざるを得ない。とても苦しいお気持ちだと思う。私の場合は、たまたま生活ギリギリでもともかく生きていけるレベルを保ち、自分の考えとギリギリ生活の確保、健康の確保を保っている、ということに過ぎない。自分ではメデタイ話だとは思っているが。

 

時々言われることがある。そんな肩肘はらんと、みんながマスク着けてんねんからお前も着けといたらええやないか、と。いや、それが出来ないんだよな、と説明するが、全く伝わらない。言ってくれる気持ちは分かる。何しにそんなにテンパってるんや? そこまでガンバル必要ないやろ。世間の流れに身を任せたらラクやのに、自分から苦労しょいこんで何してんねん、アホか。・・・というような心配と思いやりの気持ちで言ってくれてるのだとは思ってる。気持ちはうれしいが、自分の考えと指針からは完全に外れるんだよね。そこが我慢できない。

 

私には私の生き方がある。そういうことだ。