南京大虐殺に関連する資料
上記のサイトから一部分を転載する。当時の状況の流れが分かる。南京大虐殺に関連する記述がある。石射猪太郎は第二次大戦時の日本の外交官。資料として記録に残す。以下。
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12月17日
○今日南京入城式とやら。
12月22日
○対独回答案午後6時に執行される。大臣官邸に独大使を招致し回答文を与える。大臣大使間に問答あり。独大使は蒋介石はこれでは聞くまいと。その通り。こんな条件で蒋が媾和に出てきたら、彼はアホだ。
昭和13年
1月6日
○上海から来電,南京におけるわが軍の暴状を詳報し来る。略奪、強姦、目も当てられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の廃頽の発露であろう。大きな社会問題だ。
1月13日
○国民政府から返事が来ないのにじれて15日までに諾否の返答なくば次のステップに移ることに閣僚午餐会で決定。
1月14日
○「支那現政府を相手とせず」声明にて閣議、午後4時半独大使大臣を来訪して支那側の回答をもたらす。いわく日本側の提示条件は漠として内容を詳かにせず、もっとハッキリ言ってくれと。これを閣議に謀るに、支那側誠意なし「相手とせず」に邁進すべしということに決定せらる。誰かにべそをかくだろう。
○河相君上海より帰来しての話に、前線は腐っている。
1月15日
○今日も朝から連絡会議と閣議。参謀本部は尚直接交渉に未練を残し声明をもう少しまったらいかがとあがいたが政府側の強気勝ちを制し明日ドイツに返事をしてすぐに声明公表ということに決まった由、午後8時過ぎ大臣閣議より帰っての話。
○漢口から帰還せる張李鸞(「大公報」主筆)の川越大使へ伝えたる蒋介石の伝言にいわく、和平は自分の欲するところなるもドイツを通じてのあの条件では問題にならずと。
1月16日
○今朝ドイツ大使を招致して大臣から「国民政府を相手とせず」の次第を説明し了解を得る。
○正午政府声明公表さる。
これでサバサバした。あとは運否天賦だ。
1月17日
○今朝の新聞は「国民政府を相手とせず」を皆礼讃している。憐れな言論機関だ。
○南京、杭州では引き続き日本軍が米国人の家屋へ侵入して略奪暴行をやるとて米大使より厳重抗議してくる。出先はまさに腐っている。人道の裁きは来ねばならぬ。
5月26日
○近衛内閣改造さる。
広田、賀屋、吉野(信次・商工大臣)退き、宇垣(一成)、池田成彬兼任としてそのあとを襲い、荒木(貞夫)文部へ。
○省内に白鳥(敏夫・待命公使)を次官に擁立運動起こる。ドイツにいて白鳥のケイガイに接したる若い事務官、省内ナチス党なんめり。
○この機会に省内外の人事異動断行を次官に進言す。
○陸軍は杉山(元)の代わりに板垣(征四郎)、その下に東条(英機)という話、これには部内に反対あれども、策動の余地なきように工作せられて手も足も出ぬと柴山君。
5月28日
○宇垣(一成・外務)大臣に所管事項を説明す。
氏曰く私は井伊カモンの守になる覚悟で外務大臣を引き受けたのだと。
言や大いに良し。
6月16日
○柴山大佐参謀本部付きとなり、影佐(禎昭)大佐軍務課長に内定。
7月1日
○陸相帰京車中で「蒋在職中は媾和なし」と語る。影佐の作なるべしとの説に一致す。
○対時局策を外相に提出す。
7月7日
○拙者の対時局考案を五相会議に出す、と外相いう。依ってその改正増補をなす。
9月29日
○宇垣外務大臣本日辞表提出。
きっかけは対支中央機関問題なるも、近衛とその内閣に愛想をつかしたのが深因であろう。
○拙者の進言を実施に移さんとの腹を持っていた宇垣大将、惜しい人である。岡(敬純・海軍軍務局第一課長)、影佐が下手人。
10月1日
○本朝辞表を次官手許に差し出す。
10月8日
○和蘭陀行き、次官より正式に話あり。
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(ここから管理人)
昭和13年1月6日と同年1月17日に、南京大虐殺に関連する記述がある。貴重な資料だが、出版も途切れ、中古本は大変高価なものとなっているので手が出ない。図書館にあるかもしれないので探してみる。
事件の風化に伴って、今の日本では歴史の改竄が次々に行われている状況だ。政治に携わる者にその傾向がひどい。与党も野党も同じ。既に、多くが第二次大戦時に東アジアで行われた侵略及び加害行為について全く関心を持たない。それどころか、東アジアの現地住民は日本軍を歓迎したと吹聴する者までいる。
従軍慰安婦、本来は性奴隷制度と呼称すべきだが、この被害事例も、南京大虐殺という被害事例も、既に史実として確定したものだが、加害国日本では、逆にこの史実の抹消を試みる者が多数いる。いや、そればかりでなく、日本政府もメディアも率先してその方向を補完し推進し、歴史改竄を続けている。このような態度では世界から信用されることがない。むしろ笑われる。ドイツはユダヤ人虐殺のホロコーストを全面的に認め、謝罪し、莫大な賠償金(8兆円を超える)を支払い続けた。日本はどうか? 性奴隷制度の被害者にはたったの10億円、それも韓国政府が肩代わりした形となっている。南京大虐殺に関しては、中国側から賠償金を要求しないと申し出があったというが、賠償金が支払われた形跡が無い。いずれにせよ、日本側から積極的に賠償するという姿勢が丸で無いことは歴史的に観ても顕れている。
なぜここまで自らを貶めるのか分からない。性奴隷制度は無かった、南京大虐殺も無かった、あったとしてもごく些細な突発的な事例が少数あるだけ、むしろ日本は東アジアに多大な貢献をし、感謝されこそすれ恨まれる筋合いはない・・・というような正当化の発信が山ほどに存在する。既に海外においては、性奴隷制度も南京大虐殺も歴史の史実として確定している。ところが加害責任国である日本が、未だにそれを認めず、延々とその史実の隠蔽を図ろうとする。そういった行為はむしろ世界からの嘲笑と侮蔑の眼を向けられるだけだ、ということが分からないのだろうか。むしろお気の毒に思える。少数だが、日本の方でも、正当にその責任を認め、個人の立場で謝罪に赴く人もいる。親から聞いた話でこれは子である自分が謝罪しなければならない、として中国に赴いた人の話を聞いた。本物の人間としての儀礼を貫こうとされている。こうあるべきだろうと思う。