平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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③お伝えするということ

今日は久しぶりに楽しいことを体験した。

 

楽しいことと言えば様々な種類があるが、私の楽しいことは、人様に、自分の体得した古武術関連について伝えさせていただくことだ。体得したなどと偉そうなことを言ったが、所詮はまだまだ素人もどきの小手先技に過ぎない。だが、自分なりに多少は苦労しながら身につけたものではある。

 

相手様のお役に立ったかどうかは分からないが、伝えさせていただく以上、いい加減なことはできない。自分なりに順序立ててお伝えしたつもりだが、どこまで伝わったかは分からない。ただ、今回の方は、とても様々な試技における反応の著しく理解の速い方だと感じた。ほんの少し、術理のヒントとしての動きを体験してもらうと、すぐにその奥にある可能性についてご理解されている。正直、驚いた。

 

稀に、こういう術理に敏感な方がおられる。今回の方はそういう部類に入っておられた方なのだと思っている。容易に理解していただけるのはとても有難いことなので、今日はとても楽しかった。

 

何でもない動きの中に、実は大きなヒントがあり、その部分を大きく育てていけば、意外に早く術理の芯に到達する。この方はその可能性の高い方だと感じた。

 

ただ、可能性は高いが、その研究を途中で中断すると、実はあっという間に元の木阿弥に戻ってしまう。最も大きな問題は、様々な大変地味な基本の動きを、途方に暮れるほどに飽きもせず、かつ、楽しみながら相当期間、体験を積み重ねなければならない、ということだ。それを苦痛に思う内は、術理の進歩は望めない。何とも悩ましい処なのだが、この部分を充分吟味し、今後の検討及び、健闘を期待したい。

 

今日は、スワイショウの体験をしていただき、他の種類のスワイショウを見ていただいた。多少の速い動きも見ていただいた。その次に、様々な静止法での稽古、ゆっくり動きの稽古などをしていただいた。型の稽古はほんの一部だけお見せした。

 

横で稽古をされているのを見て、とても楽しみに思えた。今後、もう少し、今回稽古された方が、ご自分での一人稽古を積み重ねられ、その面白み、深みをご理解されたら、もっと大きな気づきを持たれるのではないか? もしそうなれば、ほんの少し、気づきに対するお助けをさせていただけたことになる。そうなれば、望外の幸せだ。

 

つくづく理解した。私は、下手でも自分の知ることを教えさせていただくのが好きなんだな。好きこそ物の上手なれと言う。私は上手ではないが、上手になりたいとは願っている。自分が上手にあまりなれなくても、伝えた相手が上手になってくれればこんな嬉しいことはない。そうなる人を、一人でも多く作ることができれば嬉しい。

 

こういうのはお金に換えられないね。