平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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あり得ないことが普通に起きる世の中

まだまだ危機感を持っている人は少ない。今の政府がまともだと思っている。また、新聞やテレビなども、至極まともに業務を遂行していると思っている。ほんの5年ほど前、いやほんの2年ほど前までは、見た目、そんな感覚も無くは無かった。ふつうにのどかなニュースが流れ、悲喜こもごものよくある物語が知らされたりもしていた。人々は、変な注射に狂ったように飛びつくようなことはなく、誰も彼もが口元に布きれをぶら下げるようなこともなかった。大事な検査だとされ、誰もが行列を作って鼻に綿棒を突っ込まれることもなかった。

 

今では口元に布きれを着け、行列を作って鼻の奥に綿棒を突っ込んでもらい、これまた行列を作って中身に何が入ってるかわからない注射を打ちまくっている。ほんの2年ほど前まではこんなことは想像も付かなかった。それが今では日常となっている。

 

12才以上の子供たちに新型コロナウィルスワクチンが打たれ続けている真っ最中に、今度は5才以上11才までの子供たちにもそのワクチンが打たれる、という話が急浮上している。いや、もう決定しているかのごときメディアの報道ぶりである。

 

読売新聞がそのニュースを流していた。つい一昨日、10月27日のことだ。アメリカの製薬会社ファイザー社が、日本で5~11才の子供たちに新型コロナウィルスワクチン接種ができるように、承認申請に向けた協議を政府と進めている、という内容の記事になっている。正直言って、読んだ私はとまどってしまった。承認申請を行っているのはファイザー社であることは明白だが、その「協議」を「政府」と進めている、というのはどういうことなのだろうか? 丸で初めから5~11才までの子供たちにワクチン接種を打つことが既に前提となっているような筆致である。既にファイザー社というのは一個の製薬会社にあらず、一つの国ほどの力を持っている、という話は聞いたことがある。そういえば、ビルゲイツが普通にコロナ担当大臣、(この時は河野太郎)とツーショットを撮っていた写真を覚えている。なるほどな。

 

ファイザー国と日本国とが子供たちに協同で新型コロナウィルスワクチンを接種する、その目論見を進めましょう。いや、上位国であるファイザー国がもちろん主導権をもっておられますから、日本国としては、積極的にすみやかに、その接種体制が固まるように準備申し上げます・・・ということなのだろうか? いや、そういうことなのだろう。

 

もうひとつ、この記事では、ワクチン接種による副作用について紹介していたが、何のデータも示さず、検証した結果、アメリカの諮問委員会は、「接種による利益はリスクを上回る」と判断した・・・と紹介している。

 

「接種による利益はリスクを上回る」

 

この言葉、どこかで似たようなイメージの文言があることを思い出す。

 

「接種による死亡について、因果関係が無い」

 

 

言葉は違うが、内容の意味するところは同じだ。全く具体的な根拠もなく、最初から結果が決まってしまっている、ということだ。接種による利益の方がリスクを上回っているのは当たり前だ。根拠? そんなもの必要ない、この言葉だけで事足りているだろう。接種による死亡? そんなものワクチンと因果関係があるわけない。根拠? 因果関係がないのが当たり前だからだ。

 

どうやら、このワクチン推進側は、あらかじめ文言を用意しておいたとしか思えない。魔法のワード。「接種による利益はリスクを上回る」「接種による死亡について、因果関係が無い」

具体的な証拠や根拠を示す必要は無い。この魔法の言葉を並べるだけで事足りると。

 

なぜなら仕込みが十分すぎるほどに十分だからだ。仕込みとは何か? 恐怖である。

 

今回の新型コロナウィルス騒動が始まってから繰り返されてきたこと。この病気がとんでもない疫病であり、症状も死亡率もすさまじく激烈なもので、いったんかかるとそう簡単に治癒しない、また後遺症も延々と続き、余病が併発し、とんでもない事態にもなりかねない、などなど、新聞記事、画像、動画が初期の頃あふれかえった。

 

覚えておられる方も多いだろう。中国で最初にこの疫病騒動がおき、あちこちでけいれん発作を起こしたり倒れたりする動画が続いていた。そして、あっという間にパンデミックと認定され、医療対応も非常に厳しいものとなってしまった。

 

実際には、新型コロナウィルスというものの存在さえ証明されていない、というのに。さて困った。私はデマを流しているのだろうか? 新型コロナウィルスの存在が証明されていない? 知っている人は当たり前のこととして認識しているが、テレビ、新聞、政府、自治体、いわゆるお仕着せの専門家は口をそろえて、私のこの言葉をデマだという。では、この件についてはどう考えるだろう。

 

実は、新型コロナウィルスは日本中で、どこの自治体も存在証明を出していない。認めていない。いや、世界中で、新型コロナウィルスを分離特定した国もまた一つもない。いやまて、日本で国立感染症研究所がちゃんと分離特定をして、その写真も載せてるぞ、と言われるかもしれないが、この写真を付けたデータ、アメリカのGENBANKに登録してまもなく、登録情報を削除している。削除しているのに、写真だけは載せてる訳だ。大橋眞氏も高橋徳氏も、それは指摘している。私も調べてみたが、本当に削除されてた。これをどう説明するのだろう?

 

新型コロナウィルスとされるものの実体は、おそらく全く無いと私は推察している。私は医師でも科学者でも何でもないが、思い切って推察という個人技を使い、断定してみる。今回の新型コロナウィルス騒動、最初に恐怖を徹底的にすり込み、人々に「これはとんでもないことになった。自分たちの人生で観たことも聞いたこともないパンデミックが始まった」と思い込ませる。その作業を徹底的に行った。

 

その後で、様々な症状が現れたと宣伝し、多くの人たちが治療を受け、そして死んでいった(とされた)。実はかなり高齢の方たちが基礎疾患で亡くなられたケースが多々あるのだが、それらがすべて新しく発生した疫病で亡くなったことにされていった。すり替えだ。途方もないすり替えが日本中で世界中で行われ続けた。

 

改めて思う。人間の理解力洞察力、分析力はあまりに貧弱だということ。あらかじめ調べた上で考える、という当たり前のことを、驚くほど多くの人たちが殆ど全くやらない、という現実が強烈に鎮座し続けている。新たにわかったことだが、世間から偉いと思われている権威が実は、とんでもないでたらめで中身も何もないただのデクノボウに過ぎないということ。これは、実は人間というのは、権威や学問だけで自らを磨くことはできない、同時に人間全体、社会全体を見渡せる洞察と良心を持たなければ、正義に基づく思考と行動を保持することはできない、ということの証だろう。

 

今回の詐欺パンデミック、詐欺コロナの騒動に対して、指針となるのではないか、と感じさせるものがあった。ある映画だ。古くから尊敬されている人物の名前が題名。「孔子」だ。2500年以上前に世の「道」を説いた人だ。中国の歴史は含蓄に満ちている。教えられることが多い。その映画で、思わず声が出てしまったフレーズがあった。

 

「義を見てせざるは勇無きなり」

 

大好きな言葉だ。私はこの言葉をたまたま紙に書いて机の横に貼っていた。実際に書いた文字は「義を見て為さざるは勇無きなり」で、少しだけ文字が違う。自分はこちらの方を覚えていたので書いたのだが、せざるは、でも正解らしい。どちらにせよ、これは大変分かりやすい言葉だ。

 

義とは、今現実に目の前にある正さなければならない課題のこと、そして、その当然の責務を無視して何もしない、というのは、勇気がないということだ。という意味だ。誰が読んでもわかる。この文言に関しては読み下しを読まなくてもすぐに分かった。

 

この映画の中で孔子がこの言葉を発したのは以下の状況下だった。

 

中国ではその頃、殉葬(じゅんそう)という習慣があり、高貴の人が亡くなったとき、そのおともをするとして多くの人、馬などが生贄とされた。つまり殺されていた。ある時、その殉葬の場から一人の幼い奴隷が逃げ出した。多くの兵士に追われたが、孔子の弟子子路がその子を救い、孔子の下へ連れて行った。子路は、孔子に迷惑をかけてはいけないと思い、他の地へ預けようとしたが、孔子はそれを止め、そのときにこの言葉を告げたのだ。「義を見てせざるは勇無きなり」

 

つまり、目の前で全く罪のない小さな子が殺されようとしている、それを助けるのは実に単純なる明白なる正義だ。その正義を前にして行わないのは勇気がないということだ。

 

もちろん、この映画シーンは演出されたものである。史実として描かれているものではない。しかしあまりにも納得できるシーンとして、とても感じ入った。

 

今回の詐欺コロナで最も痛ましいのは小さな子供たちへのワクチン接種である。全く何の効果もないどころか、ありもしないウィルスのために作られたワクチン? 内容物が何であるかも分からない、いや、最近は酸化グラフェンという猛毒や寄生虫まで入っているとの情報もある。いやもっとありえない物まで・・・それを横においたとしても、このワクチン接種で既に日本では、1233人もの方々が死亡している。すべて「因果関係が無い」とのことで補償すらされない。注射をした人たちが1233人亡くなっている、(その後、死者数の死亡発表は中止)それだけでもありえないくらいとても危険なのに、わずか5~11歳の子供に打とうとしている。これはまともではないだろう。この目論見を何とかして止める、それが正義だろう。

 

この妄動を止めたいと思わない者にはこの言葉が似合う。

 

「義を見て為さざるは勇無きなり」

 

いや、実は今回の詐欺パンデミック、義などという言葉は微塵も彼らの頭の中には無い。あるのはカネだけだ。それともう一つは、多くの人々への殺人謀議。もうそう言っても良いかと思われる。あまりにも明らかな殺人謀議であり、史上最大の大量ジェノサイドである。まだそれが分からない人の方が多いが、いずれいやでも理解することとなる。理解する頃にはペンペン草も生えていない。そうならないためにも、この言葉を忘れず、何かしら抵抗した、がんばった、という爪痕だけでも残したい。そう思う。