平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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③ 緊急事態宣言が終わってなお続いていること 続き 

今の社会の状況の中では、私は確実に異端者として認識されるだろう。現在社会において、朝から晩まで、いつでもどこでも、全くマスクを着けないで闊歩するという行動自体、誰からも想定されていないからだ。既に日本では、マスクを着けること自体が、マナーであり社会人として守るべきエチケットであるという認識になっている。

 

マスクに関連することでこだわりすぎだと言われる諸兄もいるかもしれないが、念のためお伝えしたい。もう少しマスクに関連する論考を重ねる積もりなのだが、これは、今回のコロナ騒動において、ある意味、最も注目しなければならず、かつ、この課題さえ克服すれば、問題の9割ほどは解決に向かうと言ってよいほどの刮目すべき改善ポイントだからだ。

 

マスクが無意味であり、非常に有害であるということについては、科学的根拠が存在する。しかし、マスクが必要であるということについては科学的根拠が存在しない。よくよくリサーチすればすぐに分かることだが、残念ながら個人的にリサーチしようという人は殆どいない。なので、政府やメディアから垂れ流しされる虚偽情報によって、マスクは必須であるとされてしまう。朝から晩まで嘘が流され続ける。

 

ヒットラーは分かっていた。大きな嘘を何百万回と繰り返せば、それは正当な認識とみなされ、当たり前となる。小さな嘘はすぐにばれる。なので、ヒットラーは大きな嘘を朝から晩まで何度も何度も繰り返し続けた。その結果、ユダヤ人の虐殺は「当たり前のように」実行された。彼は人心コントロールの天才であった。

 

今回、マスク装着が当然視されるようになったのは、ヒットラーが行った嘘と匹敵するほどの無数回の嘘が重ねられ続けたことに起因している。人々に考える暇を与えない。考える隙を与えず、ひたすらマスクの必要性、着用のニセの根拠などを刷り込み続けた。人々は、とりあえず言うことを聞いておこう、その方が感染する確率も死ぬ確率もきっと低くなるのだろう、と思い込まされてしまった。次のポイントが大事だ。

 

「自分達で何も考えることなく、それらの方針は他力で決定されてしまった。」

 

マスクが感染症防御という課題にとって全く役に立たないものであるということを、今更ながらだが記録しておこう。これはまじめな感染症対策の専門家、もしくは呼吸器系疾患の専門家なら誰でも簡単に説明することができる。(あらかじめもう一度白状しておくと、私はそういった専門家ではなく、当初は完全に騙されていた。なぜならそのときは調べてなかったからだ。)

 

マスクの編み目の大きさは、ウィルスに比べて非常に大きい。ウィルスがビー玉だとすると、マスクの編み目の大きさはサッカーゴール3つ分に相当する。ウィルスは編み目に丸で接触しないまま素通りするのが大半となる。稀に編み目にひっかかるのはほんの一部に過ぎない。ウィルスを防御することは不可能だということだ。

 

いや、飛沫が問題だろうと言われることがある。これはこれまでに何度も書いてきたことだが、これにも嘘が仕込まれている。飛沫は確かにウィルスより遙かに大きく、マスクは飛沫を確保する可能性はあるだろう。マスクの内側で確保できたら、他人にウィルスを移さないと言えるとマスク推進派は主張する。また、マスクの外側で確保できたら(つまり他人の飛沫を自分のマスクで受け止めたら)、それはそれで他人のウィルスが自分に移らなくて済むとマスク推進派は主張する。

 

だが、非常に単純な落とし穴を推進派は付け加えない。飛沫と言っても、目に見えるほどにデカイものばかりではない。ごくごく小さなエアロゾル級の飛沫も多数ある。それらは、マスクに捕捉された途端に水分が蒸発し、一気にフラフラし始めたウィルスはマスク装着者の呼吸の吸気で本人の気管支、肺に送り込まれてしまう。どうなるか?

 

飛沫に含まれたウィルス、雑菌は、マスクを装着する限り、延々と装着者の気管支、肺に送り込まれ続けるのである。むろん超デカイ唾の固まりなどもいずれ水分が蒸発し、ウィルス、雑菌は当人の気管支、肺に送り込まれ続ける。つまり、マスクは集菌グッズとしての機能を果たすこととなり、ウィルスや雑菌を防御するどころか、ウィルス、雑菌を積極的にマスク装着者の気管支、肺に送り込み続けるのだ。当然、呼吸器感染症のリスクを非常に増大させることとなる。

 

実は私は、マスクを着けている人から、何度も体験されたことを聞いたことがある。ほんの少し、マスクを着けていることの有用性に対する疑問を持った人達だ。私がマスクは何のウィルス防御もできませんよ、という話をした時に、つい相談したいという気持になるらしく、私に聞いてくるのだ。大体、私の知人友人であり、どうもマスクって本当に役に立つのかしら、という疑問を少し持ち始めた場合に、私とやりとりする話が始まる。

 

そこで、上記の説明をすると、あたかも合点がいったという様子で白状されることがある。

 

「そうだったんですか。実はマスクをずっと着けるようになって、なぜか咳が出たり、喉の奥のいやーな違和感が取れなかったりする、というのが増えてるんです。私の親もなんか咳ばかりしてますし、具合悪そうにしてます。」

 

「え? そうなんですか? 私、そう言えば、昼間はむろんマスク着けますけど、晩もずっと別のマスクに変えて着けて寝てます。それがいいのかなと思って。でもそうするようになって、何故か分からないけど咳が出始めて・・・マスクって意味なかったっていうことなんですか、う~ん・・・」

 

というような話を無数に聞いている。マスクを着け続けて気分爽快、このおかげでとても体が元気になった、と言う人は一人もいない。そういう現実があるのに、何故か当たり前のようにマスク装着が指示され続けている。そしてほぼ全員の人が、人によっては昼も晩もマスクを着けるというようなことが続いている。

 

しかし、その結果起きることは、延々とウィルス、雑菌が当人の気管支、肺に送り込まれ続けることによって起きる、気管支の異常、肺の異常だ。もっと悪化してしまった人の場合、気管支喘息や肺炎に至る場合も無論ある。それらの症状を発症する人たちは心配でPCR検査を受け、陽性とされて、結局、新型コロナウィルス感染者とされてしまう。

 

PCR検査についてはまた別途詳しくお伝えしたいが、一言捕捉しておこう。PCR検査陽性は、全く新型コロナウィルス発症の証明とはならない。単に、何らかの遺伝子を検出したに過ぎず、それは特定のウィルスではなく、普通の風邪菌であったり、インフルエンザ菌であったり、或いは全く病気の原因となるものでもなく、単なる様々な物質、綿棒だったり水だったり食べ物だったりする。要は、PCR検査は感染症検査には全く使えないものだということだ。

 

この件を伝えると、恐らくほぼ全員が信用しない。国が新型コロナウィルスの検査として認証してるじゃないか、世界中がこのPCR検査を標準検査としているじゃないか、テレビもずっと国と同じことを言ってるじゃないか、お前は何を言っている、とこうなる。なので、PCR検査の件はまた別項を以て改めて書くことにする。(念のため付言する。実は、PCR検査は感染症検査には使えないということが常識であるばかりでなく、大変有害だという現実がある。)

 

最近、最も私が憂慮しているのは、子供たちに与える影響だ。むろん子供たち全般にとんでもない害があるのだが、今回はごく幼い子供たちに与える影響に対して注目してみる。

 

母親から生まれたばかりの赤ん坊は、多くの大人たちの表情を見ながら人生を始める。様々な表情を見る体験を重ねることで情緒も育まれ、また自分の感情も育っていく。ところが、マスク社会でなかった頃には当たり前であったことが、現在のマスク社会ではそういった体験を積み重ねる機会が圧倒的に少ない。社会全体がマスクだらけとなっており、特に日本では、外を歩いてもマスクを着けていない人を探す方が難しい。

 

私自身が体験したことを話そう。これまで小さな子供と外で出会ったとき、にっこり笑顔を浮かべながら手を振ったり、イナイイナイバァみたいなことをして遊んだりすることがあった。例外なく今までは、殆どの小さな子供、1歳児、2歳児くらいの子はそれらに反応してくれた。にっこり笑ったり、手を振ってくれたり、イナイイナイバァとやったときはそれこそ最大級の笑顔を見せ、声を出して笑ってくれたりしたものだ。

 

その体験がほぼ皆無となった。これは驚くべきことだ。昨今の1歳児2歳児、いや3歳児くらいの子でも、何の反応もないことが殆どとなってしまっている。全くの能面のままなのだ。

 

ぞっとする思いを味わった。それが延々と続くのだ。ごく稀に、マスク社会でない頃の普通の反応を最近一度だけ見たことがある。

 

両親と小さな子供たち(一歳くらいから四歳くらいまでの3人)を連れて公園に来られてた。全く珍しいことに、誰もマスクを着けてない。両親とも、マスクを着けるという習慣が皆無、という印象を受けた。当然、子供たちもマスクを着けてない。私は何だか嬉しくなり、子供たちに手を振ってみた。かつての反応が自然にかえってきた。ニコニコしながら手を振ってくれた。両親とも喜んでくれ、とても可愛いですね、と声をかけると、ありがとうございます、とニコニコしながら応えてくれた。本当にほっこりした気持ちをもらえた。

 

ところが、他の、家族全員マスクの人達と遭遇したときは、いくら手を振ってみても笑顔を見せても、全くの無反応。ほんの小さな子供でマスクを着けていない子も全くの能面・・・気の毒なような可哀想なような・・・いや正直に言おう。不気味だった。

 

今後この子供たちは一体どんな情操を育むことができるだろうか?  人間としての感情が正常に育つだろうか? 何かしら致命的な欠陥が生じていってしまう、ということがないだろうか? そういったこもごもの事が心配事として私の心の中に深く残ってしまった。

 

本当にどうなるのだろう?