平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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マスクは着けない

マスクは全く着けない、ということに決めたのは昨年の9月末頃、大阪で半年ほど仕事をしてきた後、こちらに戻って来た。大阪での仕事で、マスクを着けているとき、本当に倒れそうになった。

 

この話、もう書いたような気がするけど、ま、いいか、もう一度書こう。梅雨のハシリの時期、湿気がひどく、仕事現場でマスクが汗でピタっと顔に張り付いた。とたんに何だか息苦しくなってくる。息苦しいだけで終わらず、脈がどんどん速くなり、普段の倍の脈拍に。やがて目眩までしてくる。

 

幸い介助の時間が短かったので、事なきを得た。下手すると本当に失神していたかもしれない。無理せず、どうどうと外しても良かったのだが、他のヘルパー全員がマスクしているのを知っていたのでそうもできなかった。これが典型的な同調圧力というものだな。

 

低酸素症というものだろう。病名なんてどうでもいい。酸素供給を妨げられるのだから体調が悪くなるのは当たり前。元来、口をふさがれたら誰でも息苦しくて死にそうになる。首を絞められてるようなもんだ。一日中ずっと軽く首を絞められてるって、どんだけしんどいの?

 

そう言えば、恐ろしい情報を聞いたことがある。地名は忘れたが、ある中学校での音楽授業のとき、皆で合唱したらしい。そのときに、全員マスク装着のままで合唱をしたと。そして、その内の4人が失神して倒れたとのこと・・・

 

これ打ち所が悪かったらヤバイよね。下手したら大怪我したり死んだりもあるかもしれない。これって業務上過失致死罪ってなるんじゃないか? というかあまりにも不注意っての加わるから、もっと重い罪になるのかも知れない。そう思う。

 

とちかくもう絶対マスクしないことにした。店に入るのにも、役所に入るのにも、銀行に入るのにも、外を歩くのにも、無論、車に乗るのにも、マスクしない。そう言えば、公園を歩いている時にもマスクする人いるし、車に一人で乗るのにもマスクする人いる。これ全く考えられない。

 

ただ、会社をやっていて接客するとなると中々厳しいだろう。殆どの人がマスクをするのが当たり前と思っている。接客する側が、ノーマスクだとすると、本気で怒り出す人もいるかもしれない。

 

ただ、私の場合は、当たり前に2019年に自分の時間を戻しているので、全く何を意識することもなく、普通にマスクを着けないまま行動している。あまりにも普通にしているせいか、殆ど何も言われない。たまに、銀行や他の一部の店で、マスクの着用をお願いします、とか言われるけど、ふわーっと無視するか、低酸素症で着けられないというかで、解決する。

 

大体、医学的にも法的にも全く強要する根拠がない。日本の場合は外国と違い、なにも強制することなくマスク全員装着が実現してしまってる。このまま続いて良いと思えない。なので私は1人でもマスクをしない、という日常を作ることにした訳だ。

 

最終的に、子供たちの命を未来を慮ってることに遠い道だが繋がっていると勝手に思っている。

 

目の前の人がいやがるだろうな、とか、お店で言われたらどうしょう、とか、余計なことは考えない。元々マスクをいつも着けておくってとても危険なことだ。酸素吸収が確実に低下し、身体の脳の活動を阻害する。何も楽しいことはないし、それですぐに何かが解決するとも思えない。

 

当たり前だ。ただ日常的に当たり前であったことを思い出し、その通り実行してみたい、その思いだけで自分は動いてる。

 

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